はっとり 将也 ブログ

デジタル社会と生身の人間

2026/6/11

 先月末、スマートフォンが故障し、やむなく機種変更をしました。しかし、以前のLINEデータが消えてしまい、その復旧には思いのほか手間がかかりました。長時間画面と向き合うことになり、未だに尾を引いています。しばらくは難儀をしそうです。

 さて、人間にとって「見る」ということは極めて大きな意味を持っています。言うまでもなく、眼はとても大切な器官です。私の母は、洋裁の仕事など若いころの無理がたたったのか、還暦を境に急激に視力が低下しました。さらに眼底出血を患い、亡くなる五年ほど前からは人の顔を判別することも難しくなりました。声を頼りに相手が誰なのかを判断していた姿を間近で見ながら、私は「見える」ということがどれほど尊いことなのかを思い知らされました。かくいう私自身も、予備校時代からのメガネ族です。眼の問題は決して他人事ではありません。

 もっとも、人は眼だけで世界を認識しているわけではありません。耳を澄まして言葉に耳を傾け、人とのつながりの中で感じ取ることもまた大切です。そのうえで、日々酷使しがちな眼を少し労わる時間を持ちたいものです。しかし、そのような余裕を持つこと自体が難しい社会になっているのかもしれません。

 今の子どもたちは、学校教育や家庭学習でタブレット端末を使い、さらに余暇の時間にはスマートフォンの画面を見つめています。大人もまた、仕事から日常生活に至るまで、デジタル機器なしでは成り立たない時代を生きています。

 もちろん、デジタル化そのものは時代の要請であり、その恩恵は計り知れません。私も今、パソコン画面を見ながらこの文章を書いていますし、名古屋市もICT教育をはじめ、オンライン申請の拡大や中小企業へのDX推進支援などに取り組んでいます。

 しかし一方で、便利さや効率性を追い求めるあまり、私たちは自らの身体や神経を酷使する社会へと向かってはいないでしょうか。スマートフォンの長時間利用が視機能へ与える影響について警鐘を鳴らす著作も出版されています。

 チャールズ・チャップリンの映画『モダン・タイムス』では、巨大な機械の歯車に人間が飲み込まれていく姿が描かれました。あの作品は工業化社会への風刺でしたが、二十一世紀を生きる私たちもまた、絶え間なく流れ込む情報や鳴り続ける通知音に囲まれ、効率と速度を求められる社会を生きています。便利さと引き換えに、人間の側が機械に合わせることを求められている――そんな危うさを感じます。形を変えた「歯車」の中に、私たち自身が組み込まれているのかもしれません。

 眼の問題は、単なる身体の問題ではなく、現代社会の生き方そのものに関わっているように思えます。必要なのは、デジタルを拒絶することではなく、人間の側に立って使いこなすという姿勢ではないでしょうか。人間が機械に合わせる社会ではなく、人間の尊厳や健康に技術の側を合わせていく社会でなければなりません。便利さの追求の先に、人間そのものが置き去りにされては本末転倒です。

 生身の人間として、ときには画面から眼を離して空を見上げたり、相手の表情を確かめたり――。そして休むこと。無理を重ねず、自分自身の感覚を取り戻すこと。そんな当たり前の営みを守ることが肝要だと思います。そして、子どもたちがそのことを自然に身につけられる環境を整えていくことこそ、大人の責任なのだと思います。

 

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著者

はっとり 将也

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肩書 名古屋市会議員(北区)
党派・会派 立憲民主党

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