2026/6/11
前回は、山崎亮先生の講演から学んだ、住民が主体となって作るプロセス(過程)を楽しむまちづくりについてお伝えしました。白黒をつける「結果」を求めるのではなく、対話を通じて「もし何かあった時にそっと助け合える友達を、古河の中であと2人増やすこと」。それこそが、何ものにも代えがたい、私たちが手にすべき本当の財産なのだという温かいお話でした。お互いを支え合える温かい絆。これこそが、私たちが手にすべき本当の財産です。では、私たちは、目の前に立ちはだかる冷たい政治の壁を、どのように乗り越えていけばいいのでしょうか。次の一歩を、ご一緒に考えていきましょう。
大阪の茨木市に誕生した、市民みんなに愛されている複合施設「おにくる」の事例は、私たちが直面する大きな課題に対して、極めて現実的なヒントを与えてくれました。この巨大な施設には、子育て支援、プラネタリウム、図書館など、様々な要素が「階ごと」にバラバラに入っていました。普通の設計なら、2階の子育て広場に来た親子は、わざわざエレベーターに乗って6階の図書館まで行くことはありません。素晴らしい絵本が6階にあることすら気づかないまま、帰ってしまいます。
「だったら、待っているのではなく、私たちから本を届けに行こう!」
そこで、市民たちが素晴らしいアイデアを実験し、形にしました。6階の図書館から絵本をどっさりとカート付きの「移動式ミニ屋台」に載せ、エレベーターを使って、親子が集まる2階の子育て広場まで直接『出張デリバリー』しに行ったのです。目の前で絵本の読み聞かせをし、その場で本を貸し出しながら、「ねえ、もっとたくさんの面白い本が、上の6階で待っているよ!」と親子に直接語りかける。縦割りで冷たい「空間の壁」を、市民の温かい「活動」が軽々とつないだ瞬間でした。市民が「ここでこんな面白い活動をしたい!」と実験し、その結果「これくらいの広さや、ここにコンセントが欲しい」と設計者に伝える。市民が主体となって動き、つくるプロセス(過程)を共有したからこそ、この施設はいつ行っても市民の笑顔と活気で溢れかえっているのです。
しかし、今、私たちの古河市で進められている新公会堂の計画はどうでしょうか。 公開されている「市民委員会」の議事録を読み解くと、山崎先生の語るプロセスとはまったく真逆の、寂しい現実が浮き彫りになってきます。 市民委員会とは新しい公会堂の計画に、私たち市民の声をしっかりと反映させるために、一般公募で集まった市民や、市内の教育・文化など様々な分野の代表者たちによって組織された、話し合いの会議のことです。 そもそも、この市民委員会に集まった市民の代表たちには、誰に言われたからでもない、「どうしてもこの街で実現したい、温かく切実な動機」が最初からありました。
・ 「古河には音響が良い施設が一つもないから、教え子の子どもたちをわざわざ市外や県外のホールまで連れていって発表会をしている。大好きなこの街で、子どもたちに思いきり表現をさせてあげたい」
・ 「学校を卒業した途端、この街から高校生たちの練習場所が消えてしまう。車を持たない若い世代のために、音楽ができる居場所を作ってあげたい」
・ 「この街で育つ子どもたちに、近くで『本物の芸術』を触れさせてあげたい。本物を見る経験こそが、未来を担う子どもたちの心を育てるから」
彼らは、ハコを建てたいから集まったのではありません。子どもたちの未来や、若者たちの居場所という「活動(ソフト)」の話を、一生懸命にしようとしていました。しかし、市やコンサルタント側から投げかけられる問いは、いつも冷たい「ハコ(ハード)」の制約ばかりでした。
・ 「浸水想定が5メートルあるが、12億円かけて土盛りするか」
・ 「立体駐車場にするか、平面駐車場にするか」
・ 「民間の会社にお金を借りて建ててもらい、後から市がリース料を払う方法(※ PFI方式)にするか」
議論の順番が、完全に逆転してしまっているのです。「そこで何をしたいか」という市民の情熱が十分に深まる前に、場所を決め、お金の計算を先に決めてしまう。実際、議事録のなかに、そのプロセス(過程)そのものの破綻を示す決定的な発言が残されています。
「※ PFIの具体的な方法は、候補地を最終的に決定した上で、この後民間事業者へのサウンディング調査を深く行い……」(第10回市民委員会・事務局発言) ※ PFI方式とは古河市が直接お金を出して建てるのではなく、民間の会社にお金を借りて施設を建ててもらい、後から市が毎年「リース料(ローン)」を払っていく仕組みのこと。 使う市民の顔が見えないまま、場所と事業手法(お金の借り方)を先に決める。これでは、どんなに立派なハコを建てたとしても、それはいつしか、誰も使わない冷たく寂しいコンクリートの塊になってしまいます。
現在の古河市では、新公会堂の建設をめぐり、市長が「建てるまでは市が頑張るが、作った後は市民が活用するのだ」という趣旨の発言をしています。これは、新公会堂基本構想・基本計画(案)の中間報告シンポジウムの場で示された考え方です。市民が「どう使いたいか」 「どんな活動をしたいか」という活動(ソフト)の計画が何もないまま、市が一方的に建設の計画を作り、巨大なコンクリートの箱を押し付ける。そして建て終わってから「あとは市民が勝手に使え」と丸投げする。この進め方には、やはり大きな疑問を感じざるを得ません。 実際、このシンポジウムの場で、市民から極めて真っ当で、切実な質問が投げかけられました。
「近隣の野木エニスホールや結城市アクロスは、稼働率が40%台と低迷している。こんなに大きな施設を古河に作ってしまって、本当に問題がないのか?」
これに対する市長の回答は、次のようなものでした。
「稼働率については、まさにこれからですよ。市民力にかかっています」
もちろん、この言葉の裏には「できたハコを市民の皆さんと一緒に愛される場所に育てていきたい」という、市長なりの古河市民に対する期待や、前向きな願いが込められているのかもしれません。その想い自体は、決して否定されるべきものではないはずです。しかし、その「市民力」への期待をかける順番が、あまりにも逆ではないでしょうか。プロセス(過程)をすべて市民から遠ざけ、行政主導で進めてきた巨大なハコ。その維持や活用の責任だけを、最後に「市民力」という美しい言葉でそっと丸投げするような姿勢。これほど理不尽で、無責任な話が他にあるでしょうか。しかも、その「丸投げ」のツケは、私たちの想像を超えるスピードで膨れ上がっています。
現在、2026年6月。あのシンポジウムから約1年が経過した今、物価上昇にはいまだに歯止めがかからず、金利は世界的に上がり続けています。この急激な「インフレと金利上昇」という冷酷な現実のなかで、当時提示されていた「235億円」という総事業費は、今や一体どこまで跳ね上がっているのでしょうか。例えば、為替レートを見ると、2025年度には1ドル=150円前後で推移していたものが、この2026年6月現在、1ドル=160円を超えるような歴史的な円安水準を記録しています。身近な食品や電気代、ガソリン代が次々と値上がりし、私たちの毎日の暮らしがどれほど苦しく、切迫しているかは、日々の買い物で誰もが肌で痛感しているはずです。私たちの暮らしを直撃しているこの猛烈な円安と物価高は、当然、建物の材料となるコンクリートや鉄骨、輸入資材の価格も天井知らずに押し上げています。市民の生活費がこれほど苦しくなっているまさにその裏で、ハコモノの整備費用と、それを賄うために重ねられる巨額の「将来の借金(地方債)」が膨らみ続け、私たちの未来の予算(一般会計)を重く縛り付けようとしているのです。
市民委員会の最終段階で突きつけられた、従来の公共事業としての概算事業費は、なんと約179億円。10年前に一度頓挫した計画(約135億円)を大きく上回り、金利負担や維持管理費、民間に支払うリース料、さらには「空調の更新工事などの大規模修繕費」すら含まれていない初期コストだけで、すでに総額235億円を大きく超えているのです。
そして、この莫大な借金をいったいどのように穴埋めしていくつもりなのか。私が古河市の執行部に対して徹底的に調査をかけ、独自に引き出した『新公会堂建設に関する公式回答書』のなかに、誰もが言葉を失うような方針がはっきりと記されていました。
「公共施設適正配置基本計画による小中学校の配置見直しなどによる歳出削減……」(私が独自に古河市執行部から引き出した「回答書」より)
既存事業や他の公共施設の見直し、さらには子どもたちの身近な学び舎を統廃合して削減する痛みまでをも引き換えにして、火薬庫の隣(自衛隊との安全な距離すら『防衛上の守秘義務で不明だが支障はない』と片付けた場所)に、大規模修繕費抜きの200億円超のハコを建てる。行政主導による「ハコ優先」の進め方が、知らず知らずのうちに、市民へのあらゆる行政サービスや子どもたちの未来を窮屈な選択肢へと追い込んでしまう。この構造のズレこそが、私たちが直面している本当の壁なのではないでしょうか。 当然、委員からも「これでは市民の理解が得られない」「計画が頓挫しかねない」と、深い困惑と強い懸念の声が上がりました。最終的な候補地決定の場でも、「全員一致」には程遠く、葛藤を抱えたままの多数決で決着せざるを得ませんでした。
では、私たちはこの冷たい「仕組みの壁」を、どうやって乗り越えていけばいいのでしょうか。それは、行政や政治に対して「もっと話を聞いてください」とお伺いを立てるのを、一度やめてみることです。届かない相手を攻撃することに、私たちの貴重な時間とエネルギーを消費してしまうのは、あまりもしんどいからです。
誰がトップにいようと、この古河市での私たちの暮らしは「私たちのもの」です。”政治が耳を傾けないなら、私たちがやりたい面白いことを、自分たちの足元で『勝手に』始めてしまえばいい”。「おにくる」のプロジェクトが成功したのも、実は「勝手に始める市民の熱量」がきっかけでした。最初は、お堅いルールを押し付ける役所の姿勢に、市民の熱量は冷めかけていました。そこで市民たちは、役所を敵に回すのではなく、自分たちが楽しそうに活動しているワークショップの現場に、若手職員たちを「まず遊びに来てください」と巻き込みました。市民たちが目を輝かせて「こんなまちにしたい!」と語り合う姿を間近で見た職員たちは、胸を打たれました。「自分たちもルールを守るだけの機械ではなく、この人たちと一緒に良い仕事がしたい」と、心から火がついたのです。そこから若手職員たちによる自発的な勉強会が始まり、最終的には市長を含む20人以上の職員たちが、市民を支える最高の「相棒」へと変わっていきました。私たちが勝手に集まり、勝手に対話を始め、圧倒的に楽しそうに古河の暮らしを面白くしていく。その楽しそうな温かい輪がどんどん大きくなっていけば、政治の冷たい殻は、外側から自然と溶けていきます。役所のなかで「本当は古河市民のために良い仕事をしたい」と願っている、心ある真面目な職員たちも、私たちの熱量に引き寄せられるように、個人の意志でそっと殻から顔を出し、心強い相棒になってくれるはずです。政治の対立にエネルギーをすり潰すのではなく、自分たち自身が圧倒的に面白がることで、まちの主導権を取り戻す。この「市民の自立」こそが、冷たい壁を軽々とつなぎ、乗り越えていく一番の近道なのです。
私たちは、誰かに作ってもらった「アトラクション」に乗って、それがつまらないと文句を言うだけの観客ではありません。この古河市というまちを、もっと面白く、もっと温かく、もっと誇れる場所にするための「当事者」であり、「デザイナー」なのです。政治の対立で白黒つけて、誰かが勝ち、誰かが負けて終わるような寂しい関係は、もう終わりにしましょう。まずは私たちの足元から、テーブルを囲んでしつこく話し合いませんか? 「あなたはどうしてそう思うの?」 「私はこんな古河市になったら嬉しいな」そんな、政治のフィルターを通さない素直な対話の中から、私たちの新しいチャレンジを始めましょう。私たちの手で、未来を紡ぐ。2024年の古河市長選挙の投票率が45.10%、2023年の市議会議員選挙の投票率が42.42%という、有権者の過半数、つまり「ほとんどの人が政治を諦めてしまっている」この現状。この投票率の低さを、ただの諦めで終わらせるか、それとも「ここから私たちの手で変えていく」始まりの合図にするか。この小さな、しかし確実な一歩を、まずは私から、引いてはこれを読んでくれているあなたと一緒に、今ここから踏み出したいのです。一緒に、私たちの新しい古河の物語を作りましょう!


建物の名前は市内にゆかりのある「いばらき童子(鬼)」に由来し、子どもから大人まで「楽しそうで来たくなっちゃう場所」という想いを込めて、当時6歳のお子さんが命名しました。

















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