2026/5/18
| 小森さだゆき | 参政党 / 高槻市議会議員
「1コン、2コン、サンコン!」という明るいフレーズと親しみやすいキャラクターで、かつて『笑っていいとも!』をはじめとする日本のバラエティ番組を席巻したオスマン・サンコンさん。お茶の間の人気者としての印象が強い彼ですが、実は2017年春の叙勲において、日本国政府から「旭日双光章(きょくじつそうこうしょう)」を授与されていることをご存知でしょうか。
なぜ、一見お調子者にも見えた外国人タレントが、国家からこれほど名誉ある勲章を贈られたのか。その裏には、私たちがテレビの画面越しには知ることのなかった、規格外の超エリート外交官としての真実と、母国と日本のために人生を捧げた感動のドラマが隠されていました。
バラエティ番組では、あえてたどたどしい日本語を話して笑いを誘っていたサンコンさんですが、その素顔は誰もが驚く本物の天才であり、超エリートです。
母国ギニアの国立コナクリ大学を卒業したのち、ギニア政府の国費留学生の選抜試験に挑みました。なんと約1万人もの受験者の中から首席(1位)という驚異的な成績で合格を果たします。そしてフランスの名門・ソルボンヌ大学(パリ大学)へ留学し、経済政治学などを専攻しました。
さらに驚くべきは、その並外れた語学力です。公用語であるフランス語やギニアのスースー語はもちろん、英語、日本語、スペイン語、イタリア語の計6カ国語を自在に操るマルチリンガルでもあります。あのひょうきんな姿の裏には、世界最高峰の学舎で学び、国家の期待を一身に背負った知性が秘められていたのです。
1972年、ギニア外務省の若きエリート外交官だったサンコンさんに、重大なミッションが下ります。それが「日本にギニア大使館を新しく開設する」という任務でした。
当時の立ち上げメンバーは、なんと大使と1等書記官であるサンコンさんのわずか2人だけ。右も左もわからない異国の地で、何もない状態から在日ギニア大使館の基盤をゼロから作り上げました。そして、来日直後の最も重要な公務として、ギニア大統領からの親書(国書)を携え、皇居宮殿にて昭和天皇に直接お会いする栄誉(謁見)を賜っています。サンコンさんご自身、あまりの緊張で足が震えたそうですが、昭和天皇が非常に優しく接してくださり、金粉がちりばめられた美しい親書を直接手で受け取られた時の感動は、今も深く胸に刻まれているといいます。
ワシントンのギニア大使館勤務などを経て、1984年に再来日したサンコンさんは、ひょんなことから芸能界入りし、大ブレイクを果たします。なぜ、輝かしい外交官のキャリアを持つ男が、バラエティ番組で「宣伝マン」に徹したのでしょうか。そこには、国家の未来を見据えた深い志がありました。
初めて日本に来た際、サンコンさんは日本とギニアのあまりの国力・経済力の差に大きな衝撃を受けました。そして、日本の復興と発展を支えた根底には、子どもたちへの平等で質の高い教育があることを痛感します。「国の将来を支えるのは教育であり、教育こそが国づくりの基本だ」と確信したサンコンさんは、自らテレビに出てギニアという国の知名度を上げ、タレント活動で得た貴重な収入(私財)をすべて母国への支援に注ぎ込むことを決意したのです。
サンコンさんの言葉通り、その後の行動力はまさに圧倒的でした。タレント活動で得た私財を惜しみなく投じ、これまでにギニア現地へ複数の小学校(通称:サンコン小学校)を建設されています。当時のギニア、特に地方の農村部では、インフラの未整備や貧困により子どもたちの多くが学校に通えない環境にありました。サンコンさんが作った学校は、そんな地域の子どもたちにとって、未来を切り拓く唯一無二の希望の光となったのです。
さらに、サンコンさんのボランティア活動は学校建設だけにとどまりません。日本国内で使われなくなったランドセルや文房具、衣類、さらには医療物資や救急車、消防車などを集めて現地へ送る活動を何十年にもわたり継続してきました。日本の学校や自治体、多くの人々を巻き込んだこの草の根の活動は、ギニアの医療や教育の現場を劇的に改善させていくことになります。近年では、現地の子どもたちが将来日本との架け橋になれるよう、日本語学校を併設した新しい学校の建設プロジェクトなども進められており、その情熱は衰えるどころかさらに加速しています。
こうした長年にわたる地道で圧倒的な民間外交の架け橋としての活動、東北地方への震災復興支援、そして私財を投じた教育・医療支援の功績が認められ、2017年に「旭日双光章」が授与されました。
旭日双光章は、かつての旧制度における「勲五等」に相当する勲章です。全国一律の機械的な評価ではなく、特定の分野や社会活動において、長年にわたり誰もが認める顕著な実績を上げた人物に贈られる非常に名誉あるものです。厳しい審査を経て選ばれた受章者は皇居へ招かれ、天皇陛下に拝謁する栄誉が与えられます。まさに、サンコンさんが人生をかけて取り組んできたボランティア活動と母国への愛が、「国家公認の功労」として認められた瞬間でした。
オスマン・サンコンさんのこれまでの歩みを振り返ると、若き日の外交官としての来日、昭和天皇への謁見、タレントとしてのブレイク、そして母国での学校建設や物資支援にいたるまで、すべての点と線が「日本とギニアの友好、そして子どもたちの未来」という一つの強い志に向かって繋がっていることが分かります。
実は私自身、サンコンさんを直接応援させていただく貴重な機会があり、その際色々とお話を伺うことができました。
サンコンさんは、長年過ごしたこの日本のことを「日本は本当にいい国だ。だからこそ、この素晴らしい国をみんなでしっかり守っていかなければいけない」と、並々ならぬ熱い想いを語ってくださいました。また、私がお話ししている最中にも、日本人の男性など何人もの方々から次々と声をかけられていたのですが、サンコンさんはその一人ひとりに対して、終始笑顔で本当に快く対応されていたのです。
そのお姿に感銘を受け、のちほどその丁寧な姿勢についてお尋ねしたところ、サンコンさんから非常に重みのある答えが返ってきました。「自分がどんなにしんどくても、自分が頑張って誠実に対応することによって、ギニア人、そして黒人全体のイメージ向上にしっかり繋げていきたいんだ」とおっしゃったのです。
私たちがテレビの前で笑顔をもらっていたあの温かいキャラクターの裏には、国を背負って戦い、恩返しを止めない一人の偉大な人間の歴史、そして外国人としての誇りと覚悟がありました。芸能界の華やかな舞台の裏側に隠された、彼の真摯な生き方と深い愛を知ることができたのは、私にとっても大きな財産です。その並外れた行動力と日本の未来を憂う温かい志に、私たちは今一度、心からの敬意と大きな拍手を送るべきではないでしょうか。

| 小森さだゆき | 参政党 / 高槻市議会議員
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