2026/3/29
これは教育だったのか、それとも動員だったのか?
教育の名を借りた政治活動は許されない!
中立を守れない教育は教育ではない!
学校は思想の場ではなく、人を育てる場だ!
母校同志社国際高等学校は進学校ならぬ、
左翼養成学校じゃないか?
今回、同志社国際高等学校は
「平和教育」の名を借りた動員で命が失われた可能性が高く、もはや看過できない問題です。
学校が特定の立場に基づいて、抗議活動への参加を促していたとすれば、
それは教育基本法大14条2項が禁じる政治的中立性に抵触する可能性があります。
そして何より重大なのは、
その過程で
命が失われたという事実です。
教育において、
思想より優先されるものはただ一つ、
命です。
この一点を曖昧にしてはなりません。
子どもは守られていたのか?
親として一番気になるのは、そこなんです。
そして、学校に預けた子どもが、 知らないうちに政治的な現場に関わっていたとしたら、 多くの保護者は不安を感じるはずです。
学校はどこまで関与していたのか、そこを徹底的に明らかにすべきです。
学校が用意した資料、
学校が組んだ行程、
その中での選択は、本当に個人の判断なのか?
極めて疑わしい!
思い返せば、
97年、自分が同志社国際高等学校2年生の時、
「平和教育」という極めて偏った歴史観と思想を学校側から強制され、沖縄研修旅行に行きました。
この時はまだ辺野古基地反対活動の抗議船に乗船するコースはなかったと思います。
自分が選んだのは読谷村のガマ(沖縄戦当時、住民や日本兵の避難壕、病院として使わた洞窟)や名護パラダイスへ行くコースでした。
しかし、事前に行われた歴史教育などにはとても違和感と気持ち悪さを感じてました。周りの同級生は口々に「日本が大っ嫌い!日本を潰すのが夢だ!」と叫ぶ者もいた。
自分の母方の祖父はかつては大日本帝国陸軍中野学校出身で台湾で4年ほど残地諜者として表向きは喫茶店の経営者、本来業務は高砂族の皆さんに日本語や算数を教えながら台湾を守るゲリラ部隊の育成で現地の方々と夜間ジャングルでヘビを捉えて捌いて焼いて食べてた、とか、台湾の人々と交流しながら大陸側の共産党や国民党の情報を収集と分析して、沖縄経由で本国に情報報告してた、などとても興味深い話をしてくれた。
「中野学校の図書館には右から左まで、英語だけではなく世界各国のありとあらゆる本があり、思想的に自由があった。髪型も坊主とかではなく、今で言うロン毛(笑)ほどではなくとも長髪も許されていた。恐らく、当時の日本国内で1番「自由」があった」
「情けない戦争をした。中野学校があと10年でも早くできていたら、あのような情けない戦争をしなくて良かったはずだ」
「我々は人間として台湾、沖縄、日本だけでなくアジアを欧米から守って、解放したかった」
「我々はしかし情けない戦争をした。でも、俺たち、仲間たちは本当によく戦ったんだ」
「琢磨はサラリーマンでも良い。軍人でも良い。芸術家でも良い。政治家でも良い。お前には自由がある。ただし、碌でもないものにはなるな」と言って旅立ちました。。。
同志社大学創設者の新島襄先生は、「わが校の門をくぐりたる者は、政治家になるもよし、宗教家になるもよし、実業家になるもよし、教育家になるもよし、文学家になるもよし。かつ少々角あるも可。奇骨あるも可。ただかの優柔不断にして安逸をむさぼり、いやしくも姑息の計をなすがごとき軟骨漢にはけっしてならぬこと。これ予の切に望み、ひとえに願うところなり」と。
私の祖父と新島襄先生はほぼ同じ言葉を残してくれた
これが自分のコアを形成している
ここが自分の根底にある
碌でもない、「いやしくも姑息の計をなすがごとき軟骨漢」、偏向教育を行っている左翼育成学校が如き母校を正す時である。
時は今
https://www.sankei.com/article/20260327-S32QPRZY25NUHA4CJAXGFY7EOI/
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